絵本作家バーバラクーニーの作品が好きです。
クーニーの絵は、詩的な世界観がとても似合うとおもいます。
たとえば「わたしは生きてるさくらんぼ」の女の子。
彼女は、いろんなものぜんぶになりたい、なんておもって
わたしは あかよ.
わたしは 金.
わたしは みどりよ.
とうたいながら自然のうつろいの中に自分をとけこませています。
「にぐるまひいて」の中での家族の暮らしぶりは、
堅実かつ淡々とした詩のような美しさがあります。
それを絵をとおしてとても整ったかたちで伝えられるってなんて素敵なことだろうと思います。
クーニー作品のこどもたちは、冷静な目線をもち、抱く思いを大切にしています。
「オーパルひとりぼっち」は両親を亡くした女の子の5歳から6歳の頃の日記です。
養女にやられた先では、厳しいしうちをうけ、
彼女の心をやさしくなぐさめてくれるのは、大きな木やどうぶつ、花達、月夜の風達なのでした。
寂しさに飲み込まれるだけではなく、自分の力で自分の目で物事をみている姿には
はっとするものがあります。
「満月をまって」は、100年以上前のアメリカ山間でかご作りをしている家に生まれた男の子のおはなし。
父達のつくるかごは一番だと信じ、街にかごをうりにいく父親に憧れ、
早く父親みたいになりたいと願っているのだけれど、
やっとのことで街への行商に連れて行ってもらえることが許された日、
さまざまなものにあふれた街の中、父親が「くそったれかご!山ざる!」と中傷される場を目にする。
男の子はその現実にショックを受ける。
父の仕事をみとめようとしなくなる。街のひともみとめない。
しかし父の友人の言葉が男の子を救う。
「風はちゃんとみている。だれを信用できるか、ちゃんとしっているんだ。」と。
男の子は山にいって耳を澄ます。そしてとおさんみたいになりたい、とおもうのでした。
子供の方が、受け止めざるを得ない運命や現実の重みがあるように思います。
その切ない表情をクーニーはうまく端正に描きます。
単に同情的ではなく、必死すぎもしない、運命に身をまかせる姿には、
心ゆさぶるものがあります。
その先に、凛とした女性像がみえます。
「エミリー」の詩人エミリーディキンソン、
ルピナスの種をまいてまわる「ルピナスさん」のミスランフィアス、
「エマおばあちゃん」の中で、絵を描くことを全身でたのしむエマおばあちゃん。
みんなご自分の世界を大事にしてらっしゃいます。
詩的な感覚でものごとを観ることに、大きな価値を感じます。
クーニーの絵本に豊かさを感じる所以も、そこにあるような気がしています。
「ママはバーバラクーニーがすき」といつもいっていたら、
子供たちもよく手に取って読むようになりました。
好きってこうやって伝わっていくのかもしれない。うれしいことです。
2009.4.5