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中学時代の二年間を、沖縄で暮らした。
日曜には海へ向かい、サンゴ礁の上をシュノーケルをくわえてぷかぷか浮いて楽しんだ。
砂浜のビーチではなく、岩や石の上を歩いて海に出て、
いそぎんちゃくの中に隠れるクマノミをつついたり、
元気なモノゴラカワハギにつつかれたりして、
輝くブルーの海の中で、生き物とサンゴ礁の間を遊んでまわった。
家族で離島へいったときのこと。
まだ早いシーズンだったのか、船をおりてもほとんど誰もいなかった。
それでも陽射しはようしゃなく島全体を照りつけていたし、
やしの森の先に見えるコバルトブルーのグラデーションが、見事に美しい日だった。
わたしはその海で、一面熱帯魚が産卵している光景にであった。
それこそドロップ色のさんごが陽をうけて海中をキラキラと輝かせているその場所で、
虹色をした熱帯魚が、みわたす限りに一面、必死でたまごを産みつけているのだった。
そばによっても逃げることなく。
とっさに「スイミーだ」と思ったのをはっきりと覚えている。
わたしはしばらく呆然として、
サンゴ礁の上を浮かびながら、その美しい世界に見とれていた。
沖縄での2年間を終え、東京に戻ることが決まっていた夏を目前にした5月の思い出。
幼いながらも、沖縄で過ごしたあの2年間は、
わたしの兄弟の中でもとくべつなものになっているような気がする。
離れて13年。
以来一度も沖縄の地を踏んでいない。
スイミーは、本当に小さい。
しかし広大な海の中で必死に生き抜こうとする。
ひとりぼっちになってはじめて、
海の中にさまざまな生命が暮らしていることや、その美しさに気付く。
レオレオニの描く海の中は、どちらかというとごつごつしているかもしれない。
岩場や海底の砂はワイルドだし、うなぎやまぐろもかなりグロテスクだ。
わたしはこの本の美しさは、絵の視覚的部分もさることながら、
絵に添えられている簡潔でいさぎよい詩的な文章とのバランスにあると思っている。
「にじいろの ゼリーのような くらげ......」
「すいちゅうブルトーザーみたいな いせえび......」
「ドロップみたいな いわから はえてる こんぶや わかめの はやし......」
「かぜに ゆれる ももいろの やしのきみたいな いそぎんちゃく。」
ページをめくるごとにいっぱいに広がる海の光景に、
品よく置かれた文章たち。
海の質素な青色も、より生き物たちの放つ力を際立たせている。
テレビで、熱帯魚が沢山泳ぐ海の中の映像を見た胡桃が、
「スイミーみたいだねえ」と言った。
スイミーが小さな体でしっかりと目を開いて自分のまわりの美しい世界に気付いたように、
いつか自分の体でほんとうの「スイミー」の風景を感じてほしいと願っている。
03.7.7
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