「ちいさいモモちゃん」
松谷みよ子著 菊地貞雄さし絵 講談社




モモちゃんが誕生して、今年で40年になったとの記事を新聞で読み、
昔「ちいさいモモちゃん」が家にあったことを思い出して、
次の日書店に走ったのだが、
手にした本の表紙に違和感があった。あれっ?と思った。

カバーをはずしてみて、わかった。
茶色いざらざらした手触りの表紙、
背の上部におすまししているクロネコのプー、
見返しには傘をさしてお散歩するモモちゃん。
昔慣れ親しんだ“わたしの「モモちゃん」”が姿を現した。
(うちは三人兄弟だったから、カバーなんてすぐびりびりになってしまったのだろう。今なら充分納得できる...。)







モモちゃんがうまれたときから、
3つになって「あかちゃんのうち」を卒業するまでの
15のおはなし。

たとえば、生まれたばかりのモモちゃんのお祝いに、
カレー粉を背負ったお野菜達がかけつけること。
クロネコのプーがちゃんとじぶんの言葉でお話をして気持ちを伝えること。
おかあさんのお帰りが遅くておこったモモちゃんが、
くもの上まで電車でいってしまうこと。

松谷みよ子さんの包まれるような穏やかな語りかけの文章の中で、
それらのことはごく自然で、
少しずつ大きくなっていくモモちゃんは、
自分にとっておともだちのひとり、のような気持ちを抱いていた。


この本の挿し絵がだいすきだった。
一ページ一ページ、ぷっくりしたモモちゃんがそこにいた。
とくにもくじのページの「にげだしたニンジンさん」のひとこま。
野原がはてしなくつづいているようで、
モモちゃんたちがニンジンさんにおいつけるのかな、とどきどきしたものである。

*****

胡桃が5歳になってから、寝る前に1話ずつ読んであげていて、
もう3巡目くらいになる。

読んでいると、
昔自分が育った家のあかいじゅうたんやら、
部屋を占領していた父の大きなライティングデスクやら、
夕方の日の光(電気をつけるにはまだ早いくらいの)なんかを思い出す。

そして最後の「かぜのなかのモモちゃん」をよむと、
涙が奥から奥からこみあげてくるのだった。

大人社会のシビアな一面も感じられる。
モモちゃんは架空の世界にいるんじゃないと思う。
子供のいる世界は部分でしかないけれど、果てしない。
モモちゃんとお母さんが共に生きたその瞬間は、
まちがいなく語られているお話のようだったのだろうと思う。


さしていうならばこれは絵本ではなく、児童文学本なのだろうけれども、
あえてあげてみた。
モモちゃんシリーズは、この本をはじめとして6冊がでている。
モモちゃんにはいもうとができ、パパとママは離婚してしまい、
パパはなくなってしまうのだそうだ。

わたしはこの本の続きをまだ読んでいない。
読めるのかな...。

40年という長い間たくさんのひとに読み継がれているお話。
モモちゃんは、わたしの中で3歳のまま、あどけなく走りまわっている。



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