「くだもの」 平山和子さく 福音館書店
「くだもの」。
「ごはん」でも「やさい」でも「おかし」でもない。
豊かな響きだ。
フウタが最近決まって「よんでー」ともってくる。
でも読んであげるのは、胡桃の役目。
「すいか」「さあ、どうぞ。」
10種のくだものが艶よく描かれている。
本当にみずみずしい。
当然まだ文字は読めない胡桃だが、
彼女なりの語りで、フウタと「くだもの」の食べあいっこをしている。
「はい、おーしーまい!」と二人で声を揃えている姿は、
実にほほえましく、
傍らで布団にもぐりこみ、とろんとしているわたしである。
胡桃とフウタ、やはり暮らしのぺースがこれから先異なってくるであろうことを、
最近少しずつ感じはじめている。
時は経つ。当然のことだ。
アトピーの通院をしていた胡桃1才の頃、
病院の待ち合い室で、よそのお父さんが自分の娘にこの本を読んでやっていた。
胡桃はその親子の間に自ら入っていき、
本の中のくだものをとっては食べ、そしてその親子と共に笑っていた。
窓の外では、降る雪が太陽を反射して
ちいさく光っては消えていくのであった。
疲れていた心に、ことさら染みた光景。
透明のすいかを一切れ、透明のぶどうを一粒、透明のみかんを一房。
お互いの口に運びあったりしていたことを、
多分大きくなっても、彼等は思い出すことはないだろう。
わたしの胸にやきつけておくだけ。
時がたって、大きくなった彼等が果実をほおばる姿を目にしたときに、
この絵本を読む光景を思い出すかはわからないけれど。
ただ今はとろんと、絵本を読みあう彼等を見つめるだけ。
平山和子さんの、やわらかくことさら繊細な絵が、
すべてをひきたてているのだと思う。
ほんとうにそこにあるようで、手をのばしたくなる。
「さあ、どうぞ」と差し出されたこどもは皆、
口の中いっぱいに「くだもの」をほおばって、
満面の笑みをみせているに違いない。
02.12.17.