「はじめてのおつかい」
筒井頼子さく 林明子え 福音館書店
日曜日の朝早くには、自販機のタバコを買いに出された。
父のいつものタバコがなければ、HOPEを買ってきなさい、といわれていた。
青いうちわのような柄のタバコを探してボタンを押したら、二つも出てきて、
わたしは途方に暮れ、泣きたい気持ちをこらえてびくびく家に戻った。
(HOPEは2コセットのタバコだったのだ。)
肉屋でぶたこまを買い、おつりがあったらポテトサラダも買ってきなさいと言われた時は、
おつりが出るのか心配で、何度も店の前をいったりきたりして、
肉屋のおじさんが声をかけてくれるまで待ったりした。
自販機の瓶のコーラを言い付けられた時は、
取り出し口に白い文字で「十分気をつけておとり下さい」と書かれていて、
わたしはその前で10分じっと待ってからコーラを取り出した。
親のいいつけを守ることがすべてだった。
「おつかい」は、自分ひとりで社会とかかわりを持たなくてはいけない、
とてつもなく大きな使命だった。
「一番好きな絵本はなんですか?」と聞かれたら、
わたしは一筋の迷いもなく、この本を挙げるだろう。
小さい頃はすべてそらんじることができる程に好きな絵本だった。
それでも、この「はじめてのおつかい」と再会したのは、胡桃を産んでからだった。
産まれたての胡桃を義母にお願いして、ひとり本屋さんへ気晴らしに行った時、
絵本のコーナーでこの本をみつけて、わたしは涙を流した。
わたしはいつから絵本をよまなくなっていたのだろう。
実家は転勤族だったので、度重なる引越で倉庫の奥にしまわれたまま、
わたしの記憶の窓も閉じられてしまったのだった。
本の中の「みいちゃん」は、自分そのものに見える。
「みいちゃん」が牛乳を買いに行く商店も、
そこに辿り着くまでに行き交う人々も、猫も、おじさんが乗っている自転車も、
お店に売っている三角牛乳も、キャラメルコーンも、
全部全部、わたしの幼い頃の風景なのだった。
絵本の中には、その絵本だけの時間が流れている。
それはうつろうことなく、
いつどこで開いても、そこに存在してくれている。
そして過去の自分も閉じ込めておけるのだ。
林明子さんの絵本の中でも、ラフなえんぴつ描きの感じが残るこの本が、
やはり一番好きだし、
もう二度と戻らない幼い頃を閉じ込めてしまっている以上、
これからもずっと、
わたしにとっての一番の絵本であることは変わらないだろう。
わたしの出産後、唯一母が倉庫から出してきてくれた本だ。
やぶれたページを直したセロテープまでもが色褪せてしまっているのに、
あたらしく買い換えることができないまま、
今もわたしは子供達といっしょに、
みいちゃんの冒険をなぞり続けているのだった。