夜フウタと胡桃と絵本を読んでいた。
互いの“ママに読んでもらいたい絵本”が錯綜する時間。
「次は「ティモシーとサラ」のほんよんで-。」と
胡桃がぶん投げた本が、布団に仰向けに横たわるわたしの口に直滑降してきた..。
無表情の胡桃。
かちーん。
痛くてちゃんとしゃべれなくなったフリをした。
布団にもぐり込んで、寝たフリをした。
そのまま隣のフウタも寝てしまった。
しーん。
しばらくしてがばっと起き上がった胡桃がパパのところへ行った。
「あのね、ママさっきかるたやってくれて、ごほんも3コよんでくれて、
そのあと「ティモシーとサラ」のごほんよんでもらいたかったから
ごほんもってきたら、まちがえてママのお口のところにおちちゃったの。
それからずーっとママねちゃったの.......。」
ウソ寝を見抜いているダンナが一言。
「おい、こんなせつなそうにしてるんだからゆるしてやれよ。」
そのうち胡桃が窓に向かって立って、ブツブツ言い出した。
「かみさま、ママのおくちがなおりますように....。」
うっ、ザイアク感....。
それにしても、
胡桃といっしょに遊んだり本よんだりしていることを、
胡桃は「ママがかるたやってくれて...」「ごほんよんでくれて...」という風に思っているのか。
先日幼稚園の観劇に招待されてフウタと行ったときも、
フウタが「ママようちえんちゅれてってくれてありがと。」とわたしに言った。
んなに恩着せがましいとこあるかなあ。
「なおったよ」と言って布団の中の胡桃のお腹をくちゅくちゅしたら、
彼女ったらなきだしてしまった。
わがままいうときはすごい爆発するのだけれど、
母親の存在をしっかりと意識し、そしてじぶんのいる位置みたいなものを把握しつつある。
わるかった、とか心配な気持ちを、大人の求めるように表現できないし、
(逆に大人の求めるようにしなくてはいけない、と思ってしまうことのほうが危険だ。)
胡桃のココロのなかでは、わかることとわからないこと、
さまざまに飛び交っているんだろうな。
そしてふとしたときにはあまえたくなって。
泣き続ける胡桃に“「ティモシーとサラ」のほん”を読んであげたら、
安心したのか、すぐに寝息をたてはじめたのだった。
ママは何色にうつっているの?
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