ふきを摘んでいると、いつも亡くなったばあちゃんを思い出す。

京都舞鶴の小さな集落にあるばあちゃんの家で、
食卓に置いてあったふきの煮たのをばくばく食べていた私をみたばあちゃんは、
帰り際に庭をごそごそと歩き回り、ふきをいっぱい採って渡してくれた。
食材を庭から調達する暮らしに、深く感激を覚えた。
大学生のときだった。

それまでほとんど舞鶴にいくこともなく、祖父母は遠い存在だった。
大学生になって京都で暮らしはじめてから、少しずつ舞鶴へ足を運ぶようになった。

土間に足を踏み入れると、ひんやりとして気持ちよかった。
そう、訪れるのはいつも夏で、
冷たい麦茶を手に、縁側に座って庭の松を眺めたりして過ごした。
時折土蔵の中に入って、
砂だらけになった農具や、幼い母の遊んだであろう人形や、
刻んだ時が浮き彫りになっているようなお皿や火鉢を見つけたりした。
じぶんの小さいかけらが見えないところに散らばっているような気がして、
それは妙に気持ちが落ち着く宝探しだった。

じいちゃんが亡くなってから、
昔ながらの大きな家の中で、ばあちゃんはひとりで暮らしていた。
ばあちゃんはいつもほんとうに小さく見えた。

結婚する、とふたりで挨拶に訪れたとき、ばあちゃんは、
「えみこをよろしくおねがいします」と言ってダンナの前で深々と頭をさげた。
Tシャツと短パン姿で戸惑う私達に、丁寧にお茶を入れてくれて、
これから少しずつ私の幼い頃の面白い話を教えてあげる、と
笑ってダンナに話しかけていた。
私達は田舎道を散歩し、田畑を眺めた。
「時計がいらないね」というダンナの声が、
裏山でなくせみの声にまじって消えていった。


胡桃が生まれたとき、
ばあちゃんはわざわざ京都まで出てきて彼女を抱いてくれた。
当時私達が住んでいた場所は、ばあちゃんが昔育った場所のすぐそばで、
えみこのおかげで懐かしい場所をまわることができてありがたい、と言った。
それがばあちゃんと会った最後だった。

信州の山の上に引っ越すことをばあちゃんに知らせたとき、
ばあちゃんは、「電気はとおっているのか、水道はとおっているのか」と
電話口でしきりに心配した。
かぼそいばあちゃんの声に、少し胸が痛んだ。



わたしは今、まわりにふきが山ほど生えている所で暮らしている。
土蔵もないし、畑もしていないけれど、
舞鶴で感じていた、時がとまったような静かな空気に似たようなものを、
ここでも感じることがある。

ばあちゃんの墓参りに行くことができた折には、
元気に育っている子供達をしっかり見てもらおうと思っている。




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