フウタにはじめて傘を買ってあげたら大喜びだ。
いつも義姉のお友達から我家にはもったいない程の上質なおさがりをいただいているので、
とても助かっている。そして、
こうやってたまに「フウタのもの」を買ってあげるととても喜ぶ。

胡桃はパパとふたりではじめて映画を見に行った。
「リロ&スティッチ」。
パパのひざの上で微動だにせず見入っていたらしい。

近頃は「しつけ」というものについてよく考える。
食べ物はとにかく楽しく美味しく食べる。
好きだと思ったものにはたっぷり熱中させてあげる。
伝えたそうにしていることは、しっかりと耳を傾ける。
そんな感じで今まで子供と過ごしてきたけれど、
子供達の先には「これから」がある。
生きて行くためには、ルールがあるし、
いつかは自分で生きていかなくてはいけない。

ぬいだ靴をそろえ、帰ってきたら手を洗いうがいをする。
ごはんはこぼさないように、頑張って全部食べる。
散らかったら片付ける。
使ったものは戻す。
そんな基本的なことを繰り返し繰り返し教えているけれど、
ひとりで立って生きて行くためには、
これから先、まだまだ教えなければいけないことが山程ある。

そこで返ってくるのは結局自分自身だ。
私自身いたらないところも沢山あるという事実が、
正直しんどい。
どうしてテレビが写るのか、
どうして冷蔵庫は冷たいのか、
からだの中はどんな風になっているのか、
そんな諸々のしくみが、
大人になったらすべてわかって、自由に生きていけるのだと
幼い頃は思っていた。

戦渦のフセインやブッシュも、ひとりの大人だ。
個人としての彼等が生々しい。
報道をみていると吐き気がしてしまう。

大人と子供の境目とは?
自分の子供が立派に大きくなって欲しい、と願うことが、
ずうずうしいように思うことがある。
それよりも、
フウタのように傘を買ってもらって大喜びしたい、
胡桃のように映画をみにいって大喜びしたい、
などと思う自分がいる。

それでも、毎日、
わたしはわたしの中のスケールで、
子供達のための「大人」でありつづけなくてはいけない。

安心と自信がほしい。


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