フウタを産んだ産院は個室で、
窓をあけると、冷たい空気がほおにあたって心地よかった。
雪はしんしんとふり続いていた。

その時は正直、家で待っている胡桃のことで頭がいっぱいだった。
胡桃は毎日産まれたばかりのフウタに会いに来てくれたが、
帰ってしまうと部屋はがらんとして、
わたしは脇に眠るフウタを見つめながら、
産院の他の各個室に繰り広げられるよその家族の気配を、
ぼおっと感じていた。

きっと赤ん坊のこと以外は目に入っていないのだろう。
母親も、訪れるひとも、素の表情を見せていた。
数々の家族の姿がそこにはあった。

子供を産むということは、花々しいようで実は、
ごくプライベートなことだ。
退院して家に戻る車の中から、街をみつめ、
この屋根の数だけ、家族のストーリーが埋まっているのだということを、
真摯にうけとめた。
我家について、待ってくれていた胡桃を抱いて大泣きしたのを、
まるで昨日のことのように思い出せる。

あれから2年。
まわりをみれば、
本当にいろんな子供、いろんな家族がいることを実感する毎日である。
すれ違うひとの数だけ、それぞれのドラマがあるのだ。




フウタ2才。
近頃は「じぶんであるく」と私のダッコしようとする手を振払うこともある。
元気に成長してくれている。
毎日産院に通ってくれた2才4ヶ月の胡桃も、もう過去のもの。

少し前、平日のけだるい昼過ぎに、ひとり本屋に寄ったとき、
産まれてまもない赤ちゃんをだっこした若い女性とすれ違った。
何だかわからないけれど、涙がでそうになった。

おっぱいをくれてやり、夜泣きにつきあい、
必死に赤ん坊に向き合ってきたわたしも、
もう過去のものなのだ。

もう来年にはフウタのおむつの世話もしていないだろう。
寂しいようなフクザツな気持ち。
ママ、とすりよってくる彼が愛おしくて仕方がない。

おたんじょうびおめでとう、楓太。


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