時はしずかに....


眠ったはずのフウタの泣き声を聞いて、2階に上がると、
真っ暗やみのベットの上で体をおこした彼は、
どこを見るでもなくただひたすらに泣き続けている。
「ママいるよ、ごめんね、ないてたの?」
フウタを抱いて一緒に布団に入る。
『ママいっちょにねんねちよ』
とろんとなって、思わず彼にほおずりしてしまう。

私がこどもを産んだことで得た安心感は大きい。
子供は私を、どんな人間であろうと『ママ』という存在として思い続けるであろうから、
半ば強引な安心感かもしれないが、しかし
明らかに子供を産んでからは、
無知さを悔いるようなひどいあやまちは、犯していないような気がする。

家族という単位で「生きる」ようになって、
わたしには役目ができ、それにすがって時は過ぎていくようになったけれど、
時折ぽかりと空く空洞をうめる必要があった。
それが「思いを記す」ということだと、
この1年で更に確信したように思っている。
役目は重要だし、ゆえに立って生きてゆける。
しかしある部分で言葉にすがり、書くことで今を直視しようとしている自分も、
見放すことなくいたいと思う。

わたしは集団組織の放つパワーや、グループになった人たちの持つ連体感のようなものが苦手だ。
苦手というより、恐い、という意識のほうが近いかもしれない。

一番恐いのは、自分がどこにいるのかわからなくなることだ。

2002年が終わろうとしている今、
女がひとり、今日もさまよいここにいる。
そりゃ無理もするし、いきおいもあるけれど、
でも、なるべくなら等身大でありたいと願っている。

そして時は2003年という新たな泉に、
音もたてることなく流れてゆくのである。






021227.

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