長新太さん逝去




長さんのナンセンスワールドに触れているときは、
"おと" や "におい"に対して無防備になっている時に近い感覚でいられる。
くすっとこみあげてくるものに、なまなましい人間の感性があるから。

私が長新太さんの死を知ったのは
お亡くなりになってからすでに2週間が過ぎたこのあいだの日曜日のことで、
皮肉にもできるだけ情報に触れないように過ごしていた時期に入ってきた、
あまりに喪失感の大きい知らせだった。
その死をリアルタイムで悼むことができなかったので、実感がない。
「でました。」と、ひょうひょうとしながら
私達を楽しませ続けてくれるような気がしてならないのだが。

長新太さんは、かこさとしさんと並び、
その存在自体が私に力を与えてくれていた。
かこさとしさんの、子供へのひたむきな姿勢や、
自然科学から日本古来の文化まで幅広く忠実に描かれるスタイルとは、
全く正反対の姿勢をつらぬいていた作家とも言えるかもしれない。

わたしが初めて長新太さんに触れたのは、たぶん、
小学生のときに読んだ「おしゃべりなたまごやき」だと思う。
大人になって、長さん御自身の写真を雑誌でみたとき、
「おしゃべりなたまごやき」の王様にそっくりだ、と思ったものだ。







2001年7月号「東京人」の中で、長さんは語る。
「"上質な変な人"っていいよね。それがなかなか、いないんだ。」

これが最後になりますね、と言って出版社に手渡したという遺作は
来年4月に刊行されるという。

長さんの残されたたくさんの絵本を、わたしも読み継いでいこうと思う。
"上質な変な人"への憧れの気持ちを重ねながら。



2005.7.14




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