娘と息子と3人で、遅い夕ご飯を食べていた食卓で、
娘の問いかけに拍車がかかります。

「ねえママ、ママは今まで何人のひとをすきになったの?」

「彼氏とかっていたの?」

「わかれた理由ってなに?きらいになったとかいわれたの?」

「でもパパがいちばんだったの?」

「ママは小学生のときすきだった男の子が“チチクビヨ~”ってふざけてるの見て恋が冷めたんだよね~」

「けっこんするひとって、まだ決めなくていいよね?
 もっと大人になってからいろんなひと見てからがいいんだとおもうんだよね、ワタシ。」

......わがおしゃべりムスメ。
只今恋とかすきなひとのこととかに興味津々。
そして母のことを根掘り葉掘り聞こうとし、
一度いったことを何度もいわそうとするのだよね....ふぅ。
(担任の先生にもこの調子らしい。つきあうのもたいへん。笑)

でも、お父さんやお母さんにも(先生にも!)
こどもだった頃とか、結婚をしていない頃とかがあったというのを
そういう会話からかんじとって、
把握しようとしている子供の気持ちがよくわかります。
学校のおともだちに対しても同じで、
皆それぞれの家庭があって、それぞれの親とかおじいちゃんおばあちゃんとかがいて、
それぞれの事情や生活や考え方があって、
みんなが自分の家と同じではないんだ、ということとかを
子どもなりにかんがえているようです。

 

○○ちゃんのお家には天国のお父さんの写真が飾ってあって、
毎日学校から帰ったらみてるんだって....
いちどだけ、こんなこと聞いていいかな、とおもったけど
さみしい?ってきいちゃったことがあるんだけど、
いつも考えているわけではないからだいじょうぶだよ、っていってたんだ。
わたし○○ちゃんてすごいなあ、とおもったんだ。
だってぜったいかなしいとおもうのに、そんなふうにいえるってすごいよね。
ねえ、ママは小さい頃“犬”とか飼ってた?

 

.....ムスメの質問はつづく。

 

「飼ってたよ。六年生のときにちょっとだけね。」
「名前はなんだった? なんで飼うのやめたの?」
「たろうちゃん、だったかな。のらいぬを拾ったんだけど、すぐまた逃げちゃったんだ。」
「ふーん。ママうさぎとか鳥とか飼ってたときもあったんでしょ?
 わたしハムスター飼いたいんだよね~。」
「しっかり自分のことできるようになってからね!何回もいってるでしょ。
 もうしゃべるの終わり!はやく食べてお風呂はいっといで!」

そんなかんなで、わたしとムスメはごちそうさまをして、
テーブルを片付けたのでした。

 

息子はだらだらごはん。
今日も食べ終わるのいちばんさいご。
うどんをちびちびすすっています。

「ねぇ.....ママ?..... たろうちゃんが......いなくなって......さみしかった?......」
「いいから、だまってうどんだけはがんばって食べなさい。」

そのうどんをすする音が、なんかおかしいな、と思っていたのです。

「ねえ.....ママ....たろうちゃんのこと.....いまでも.......いきてるかなってしんぱいしてる?......」

 

.....おはしで顔を隠しながら反対を向いてうどんをすすっている息子の顔をのぞくと、
目を真っ赤にして、
涙をぽろぽろぽろぽろ流してぐしゃぐしゃになっているのでした。

「ふうちゃん、どうしてないているの?」

「どうしてか........わかんないけど.......

 しぜんに.......でちゃうんだもん.........

 かなしい......きもちになったり........かんがえちゃう.....と.......

 しぜんに.......でちゃうんだもん..........」

もう完全に崩れてしまった顔で、肩をひくひくさせて、
息がうまくできなくて、うまくはなしができないから、
ママ.......気がおさまるまで......ちょっとまって.....と言うのでした。

 

「ふうちゃん、どうしてかなしいきもちになっちゃったの?」

「......だって.......

かぞく....も.......いつか......おわかれの......ひが.....きちゃうのか.....と.....おもったの.......

おねえちゃん....の......はなしとかを......きいていたら......そうおもったの......

だから.....かなしくなったの.......

かなしく.......なると......しぜんになみだがでちゃうの.....」

 

 

 

最近息子はよく
「にんげんは100歳まで生きるんだよね?」とか「地球のおわりってあるの?」とか
そういうことをわたしに聞いてきていたので、
きっと、今は永遠ではない、という感覚を
息子なりに持つようになってきたのだと思っていました。
たぶんそれが死への恐怖という形で息子におおいかぶさっているのでした。

涙を拭いてあげながらすこしずつはなしをしてみました。
ゆっくりしたり、ひまだなあと思うときとか、やさしいきもちになったりするときに、
そういうことをいっつもかんがえちゃって、
とくに夜ひとりで寝るときにもかんがえちゃって、
布団の中でないちゃうんだ、と言うのでした。

 

 

「しんだら......なにも......おもったり.......できなく......なっちゃうから........」

 

 

もう、わたしの目からも涙がながれてしょうがないのでした。

 

私も息子くらいの頃、そういう恐怖で寝られない夜がたくさんあった。
キュリー夫人とかヘレンケラーとかそういう偉人本を読んでも、
でももう今この人たちは生きていないんだ、とか思うと
とてつもない闇にひとり取り残されたかのような恐怖があって、くらくらした。
(今でもそういう感覚をひきずって苦しいことがある。)
なんとか励まして、いい方に考えてもらいたいのでした。
あまり息子には、そういう感覚に支配されて必要以上にこわがってほしくないと
母は思うのでした。

 

 

「ふうちゃん、
今家族はみんないっしょだから、だいじょうぶだよ。
パパもママもおねえちゃんも、
同じ家で毎日いっしょにごはんたべて、お話して、寝てるよ。
ふうちゃんは今とっても元気だし、
パパとママはいっつもふうちゃんが元気でいるようにって思ってるし、
だからパパもお仕事がんばってるし、
ママも毎日ふうちゃんにご飯つくったりお世話したりしてるでしょ。
だからだいじょうぶだよ。
みんないっしょにいるんだから。
ふうちゃん、安心して、
これからいっぱい楽しいことやらなきゃ。」

 

息子はいいます。

 

「じゃあ.....育ててくれているって.......いうことが......家族っていうこと.....なんだね.......

おとなも.....育てていくうちに......どんどん.....もっと........おとなになっていくんだね.......

そうやって......つながって......いるんだね........

1ねんせいは......1ねんせいの......勉強を.........いっぱい.....して.......

100さいまで.......おもいでを.......たくさん.......つくって.......いきるん......だね.........」

 

 

 

その夜は、息子の布団で、
娘と息子とわたしと、3人で川の字になって寝ました。
姉と母にはさまれた息子は、とてもうれしそうで、
ガンダムのプラモ図鑑を1ページ1ページ説明しだして、
とまらないのでした。

 

ガンダムの説明があまりに長いので、うとうとしていた私を見た娘が、
息子に「おかあさんもう寝ちゃってるから、しずかにしてあげよう。」といって
電気を消してくれたのでした。

 

2008.1.11






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