ひとり病院へ。今年になってから、何回通っていることだろう。
子供の食物アレルギー関連の学校給食とのからみで、医師の対応に疑問点があったので、
電話やファックスでやりとりをしてきたのだが、
今日は病院の要望もあって、あらたに話し合いの場を設けてもらったのだった。

わたしは、医師の治療方針には、信頼をよせたいと思っているし、
わたしの意見に賛同してくれる事が必ずしも正しいとは思っていないし、
治療法が明確に確立されていないのが「アレルギー」や「アトピー」の世界の現実なので、
医師と患者のあいだのやりとりのむずかしさは充分に承知している。

結局は、今担当してもらっている医師との相性、という部分で
ひっかかっているのが大きいことは、自分でもわかっていた。

今の担当医は、県の小児アレルギー医療で深く活動されている医師なのだが、
べらんめい口調で、話し方や言葉が荒いし、字もこちらが読めないほど雑だし、
事務的なことでも、ぬけていることがあったりするし、懇切丁寧な先生では間違いなく「ない」。
そして独特の「威圧感」があるのも事実。

それに関しては、ある意味人間性として、こちらも許容する範囲、とは思っている。
悪い医師ではないんだな。

でも、患者には
わからない部分を納得いくまで説明してもらう権利がある。
疑問点はてきとうにせず、解決していかなくてはいけないと思うし、
萎縮して言われるがままではなく、こちらも「考える」努力、「質問する」努力が必要だ。
とくに小児医療では、親の伝達役、ケア役としての役割は大きいし、責任がある。



今回医師ははじめ、怒濤のトーク(?)でわたしにバリアをはってきたけれど、
わたしがひとつひとつ疑問点を伝え、答えを求めていくなかで、
医師自身も、記載ミス等がわかって訂正をしてくれたり、
説明不足だった点をあらためて伝えてくれたり、べらんめいなりに対応してくれた。
底辺の部分でいい加減に治療にあたっているわけではないのを察する事が出来たのでよかった。

お互い人間。感情で衝突してはいけない場面はあるんだ。


医師との話し合いが終わったあと、待合室でぼーっとしているわたしに、
立ち会ってくれていたナースが声をかけ、背中をさすってくれた。
医師の前では、患者はやはり聞く耳が大事だとおもっているし、決して感情をあらわにしない私だけれども、
ナースの優しい気配りには、ほっと気が緩み、条件反射のように滝のような涙がでるのだった。
そして、やっぱり無意識におしつぶされそうになっている自分に気づくのだった。

されど人間。筋道立てるにはいつもの何倍もの気力を使うんだ。



4月に入り、文部科学省が公立小中高の初のアレルギー実態調査を報告したことから、
メディアでも、学校給食と食物アレルギーの生徒への対応について多く取り上げていて、
全国の対応の様子がよりわかり、ありがたい。支えになる。

こどもが新年度を迎えるにあたって、
わたしのように、医師とあらためてやりとりを交わした親御さんは、
この春も全国各地でたくさんいらしたこととおもう。

子供が成長していくにつれて、病状も回復してくことを常々願いながら、
その道のりも、楽しく、明るく、納得して生きてもらいたいというのは、
皆がおもっていることだろう。



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今日は主人の誕生日でもあり、
わたしが手術を受けてちょうど一年が経った日でもあり、
生きているということをなんだか考えてしまう一日でもあった。

おまけに、近所で車のスピード違反で捕まってしまった......。涙。
事故を起こしたのではないだけよかった。気をつけよう。

はあ、いろいろあった一日だった。ああ疲れた......。



2007.4.17






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