イタリア料理店でホールの仕事をしていたことがある。
街をながれる疎水の脇に建つ小さな店だった。
川の方は一面ガラス張りで、夜になると店のあかりが窓に静かに反射するのがすきだった。
9つのテーブルはいつもオープンと同時に埋まり、テーブルと厨房の間の空気をとりもつのが楽しかった。
毎週末カルボナーラを食べに来るお姉さんがひとりいた。
友人連れの日もあれば、親を連れての日もあった。
お姉さんはいつもはなやかに登場し、必ずカルボナーラを注文するのだった。
「ここのは絶品なのよ」と力説しながら。
ゴージャスな出で立ちと化粧の香りに店の雰囲気も飲み込まれそうな程だったけれども、
わたしはお姉さんがくることをいつも楽しみにしていた。
そして店が閉まり仕事を終えて家に戻ると、ひとり台所に立ち、よくカルボナーラを作った。
その頃わたしはくる日もくる日もパスタを食べ続けていた。
一皿で完結する潔さがひとり暮らしに適していたし、
赤青黄色のパスタのパッケージの派手派手しさも、静かな台所では好ましかった。
カルボナーラは最も好んで作ったパスタメニューと言える。
中くらいのステンレスのボウルの中に卵黄のみを割りいれ、
塩、牛乳、パルメザンチーズ、黒こしょうを荒く引いたものと、じっくりいためたベーコンを油ごと注ぐ。
ゆであがったパスタをボウルに一気に投入してぐるぐる混ぜる。
余熱で卵黄がちょうどよいとろみを持つソースとなってパスタにからまる。
シンプルゆえに加減を体が覚えるまで、何度も何度も作っては食べた。
材料も吟味して選んだし、塩の具合には毎回細心の注意を払った。
中でもベーコンの質は味を大きく左右した。たまに店で使っていたかたまり肉のパンチェッタも奮発して買って使った。
ほんのささいな贅沢なのに、食べるときには毎回胸がどきどきした。
家に誰かが遊びにくると、二人分三人分作って振る舞ってみるのだけれど、いつも何か違った。
ボウルの材質や大きさを代えてみたり、ソースのしゃばしゃば具合を替えてみたりしたけれども、どうもうまくいかなかった。
カルボナーラは完全に、わたしがわたしのためだけに作るメニューになっていた。
わたしはその一皿に集中していた。
そしてそれを食べ終えることでひとりの食事のシーンが完結し、安心して眠ることができるのだった。
今は時折思い出したように、だんなとふたりのお昼に作るくらいだ。
今のカルボナーラは、今の味として過ぎていく。テーブルをはさんで座るわたしたちも、たんたんと。
2003.7.22
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