「喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束」
ターシャ・テューダー作 食野雅子訳 メディアファクトリー


小学校をとりかこむさくらが見事だ。
放課後、子供を迎えにいったとき、
運動場ではたくさんのこどもたちがはしりまわり、賑わっていて、
そこにぬるい風がふいた。
無数のさくらの花びらが散り、空に舞って、こどもたちにふりそそいだ。

わたしが絵を描けたならば、
あの光景を描きとめて、ささやかな感動の言葉とともに、
子供達が大きくなったときにプレゼントしたりできたなあ、なんて思ったりした。

とてもきれいで、うっとりする光景だった。


この「喜びの泉」。
シェークスピア、ワーズワース、エドガーアランポー、ソクラテス、など
言葉の名士たちの残した、ターシャが気に入り大切にしている言葉の一節に、
ターシャの心の中の情景を重ね合わせた水彩画の挿絵がつけられている。

ストーリーがあるのではなく、訴えたいメッセージがあるのでもなく、
ただターシャが大切にする偉人の言葉と情景が、丁寧に、美しく並べてある。


世の中は、心をほっとさせてくれ、力を与えてくれる言葉にみちているとおもう。
共感を得た一節は、なによりの自分の宝物。
この本は、ちょっと苦しかったりするときに、よく開く本だ。
いつもさまざまな形で、心にうるおいをもたらしてくれる。
(コベントリーパトモアというひとの“未知のエロス”の中の言葉はとても好き。
冬についての詩で、わたしはこれを読んでから、冬をあたたかな気持ちで過ごすことができている。)
それにしても、読むたびに、「言葉」も「絵」もちがう表情をしているのが不思議。
うけとる私自身の心の持ち方で、感じ方もことなってくるのだなあ、とおもう。

心にぴったりとはまる言葉に出会ったとき、
その言葉で体がほっとゆるむとき、気づきが得られたとき、
心の中に平穏が訪れるよろこび。
そしてそんな心おだやかな時に触れた光景というのは、
深く、じわじわと、胸に染み入ってくるものだ。

座右の銘とする言葉や、心の置き所とする情景を
糧としてたくさん持てたなら、
人生はより深く、豊かになると信じる。






2008.4.24



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