学生で、ひとりで暮らしていたころ、レンタルビデオでなにげなく借りて、
真っ暗の部屋のなかでひとり、布団にくるまってみた映画。
あのときの感情の高ぶり、こみあげてくる熱い涙...。
以来「ニューシネマパラダイス」は、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」とともに、
わたしの最も愛する映画のひとつとなりました。
どちらも、ひとりひとりの人間の個々の歴史がぎゅっと詰まったストーリー。
人間にはそれぞれに異なる生きてきた時代背景があり、育った場所があり、
その煙たい空気、生きてきた街のひとびとの影やエネルギーは、
大人になってもその人格の輪郭を形作る。
そういう確固たるメッセージに感動したのでした。
「自分にとってのアルフレードは誰だろう」
たぶんこの映画をみたひとは考えるとおもう。
わたしはそのことを考えれば考えるほど苦しくなった。
そんな気持ちが、ひとつの力となって、
長野の小さな村で子育てをしてきたのかな、と
今となってあらためておもうのです。
先週、長野にはじめてのシネマコンプレックスが誕生し、
その記念に「ニューシネマパラダイス」の特別上映があると知って、
ひとり映画館にあしを運びました。
大きなスクリーンに映るトト少年が、
大きな眼の娘やお調子者の息子とかぶって仕方がなかった。
シチリア、ジャンカルド村のエネルギー溢れる輝いた顔のひとびとを、
私の暮らす村のお年寄り達と置き換えてみている自分がいた。
映写技師アルフレードは青年トトに、村の外へでて生きていけ、という。
「ここにいると、自分が世界の中心と感じる。何もかもが不変だと感じる。
だが、ここを出て2年もすると、何もかもが変わっている。会いたい人もいなくなってしまう。
一度村をでたら長い年月帰るな。
年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再開できる。
今の前には無理だ。
お前は私より盲目だ。」と。
村を出てローマで成功をおさめたトトが、30年という時を経て
アルフレードの死により故郷に戻る。
子供時代のかけらが今もそこにあり、
子供時代をともにいきた人々がそこに存在している。
「ずっと帰ってくるのが怖かった。でも帰ってきたら、何も変わっていない。ずっと村にいたようだ。
ぼくはママを捨てた。理由もはなさなかった。」トトはいう。
結局のところ、この映画に答えはなく、
人生の幸福の形が一辺倒ではないという事実が、
異国ながらもイタリアの自然の美しく乾いた色彩の映像の中で
より強いメッセージとなって胸を打たれます。
はじめてみてから10年以上もたって、
長野の映画館でこの映画を見れたこと。ほんとうによかった。
今のわたしにとってこの映画は限りなく等身大で、
この小さな村で家族4人手を取り合って生きてきた今までが、
子供達の将来になんらかのかたちでエネルギーを与えてくれるものであってほしい、と
切に願うのです。
***
※ひとり映画をみてきたことに、ぶーぶー文句を言われたので、
週末、封切りされたばかりの「カーズ」を家族でみてきました。
アメリカのルート66の風景が壮大で美しい、いいアニメでした。笑
06.7.3
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